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MICE拠点としてのクアラルンプール

アジアの楽園、マレーシア。自分へのご褒美として、そして、MICEの開催先として、この素晴らしい国を訪れてみてはいかがでしょうか。

マレーシアはあらゆる文化のるつぼです。郷土色豊かな祝祭、独特な衣装、魅惑的な音楽。そして、中国・インドなどのエスニックコミュニティーが、古来から営んで来た文化を反映した自慢のお料理。これらが織り成すマレーシアならではの文化が、アジアの楽園たる理由です。

ここでは、熱帯の楽園での感動的な体験を通して、日頃の疲れをリフレッシュしていただけます。太古の熱帯雨林、純白のビーチ、珊瑚礁に囲まれた島や巨大な洞窟など、壮大な自然の世界を肌で感じながら、さまざまなアクティビティーを楽しむことが可能です。観光スポットを巡るたびに、新しい発見が得られることでしょう。

首都クアラルンプールはインフラが十分に整備されており、国際レベルのイベント開催の実績も豊富なため、MICE開催地としておすすめです。MICEを開催する会場は、宿泊設備を併設した会場や、単独の会議場など、様々なタイプのものをご用意できます。会場の多くはクアラルンプールの都心部またはその周辺に位置しているため、移動が大変便利な点もおすすめのポイントです。

現在、クアラルンプールでは最新の技術と設備を備えたMICE会場の建設が進んでいます。数多くの観光スポットに恵まれる一方、最新のインフラが整ったマレーシアは、MICE開催地としての魅力をどんどん高めていくことでしょう。

 

マレーシア、クアラルンプールの紹介
アジアの楽園、マレーシア。自分へのご褒美としてこの素晴らしい国を訪れてみてはいかがでしょうか。

マレーシアはあらゆる文化のるつぼです。郷土色豊かな祝祭と、独特な衣装、魅惑的な音色、マレーシア・中国・インドなど、エスニックコミュニティーのアジア古来の文化を反映した自慢のお料理。全てが織り成すアジアの楽園。それがマレーシアなのです。

History of Malaysia

マレーシアの歴史

マレーシアは、世界の主要な交易地域の一つである東南アジアの中心に位置し、マレーシアは常にヨーロッパ、東洋、インド、中国からの貿易ルートの中枢として機能してきました。キリスト教が主流のヨーロッパ。北東へは中国、日本へ。中国から西洋諸国への輸送ルートがマレーシアを横断しますが、直通ルートのほとんどはマラッカ海峡を経由します。

これによりマレーシアは交易と文化が自然に融合する地となり、莫大な富がもたらされたのです。しかしそれは、地元住民にとって、海外からの影響を受け支配下に置かれながらも生き残らなければならないという困難な問題でもありました。

5000年前、マレーシア半島の原住民であるオランアスリの祖先-恐らく中国、チベットからの本格的な移住の先駆けとされる移民-がここに定住しました。当時のマレーシアは、豊富な天然資源に恵まれていたことから、必然的に交易の場となり、移民たちの居心地の良い土地となりました。これに続いてマレー人が農業や金属の活用技術を持ち込みました。

紀元前1世紀頃、中国、インドとの間でできた貿易上の強い結びつきは、文化、言語、風習へ大きな影響を与え、ヒンドゥー仏教文化が生まれました。今でもブジャング盆地と半島マレーシア北西のタイ国境に程近いケダ州メルボク河口の寺院の史跡には、その名残を感じます。

イスラム教はアラブ商人によって広められ、ヒンドゥー教の時代が来る13世紀まで繁栄しました。マラッカスルタン(マラッカ海峡の両側を100年に渡って統治していたマレー王国)のマレー君主がヒンドゥー君主へと転換したことで、イスラム教がマレー人の宗教として確立され、今日まで続いています。

マラッカは、強い季節風から護られ、一年中港として機能するという有利な土地柄により、寄航港として発展しました。主にスパイスや高級品が商品として新しい港で売買され、特にインド、アラブ、中国の商人の間で世界の新たな主要海上貿易の地として栄えました。

マラッカの商取引上で有利なポジションは、たくさんの人々の羨望の的でした。しかし1511年、マラッカはポルトガルに占領され、マラッカスルタン君主は、新たに王国を建てようとしていたジョホールへと逃れて行きました。 彼らはヨーロッパ人からだけではなく、マレーシア半島の各州の現在の王国の単位となったアチェ族、ミナン族、ブギス族からも攻撃を受けていました。次にポルトガルはオランダに敗れ、オランダは大英帝国に支配される1815年までマラッカを植民地としていました。

1824年、英軍はスマトラ島のベンクレーンと引き換えにオランダからマラッカを獲得しました。 こうしてマラッカ、ペナン、シンガポールは、総じて英国支配による「ストレイト・セッツルメント」として知られるようになりました。英国は、自国の影響力と権力でマレーシア半島のマラヤ州の政治統合に着手しました。

日本の占領
マラヤの英軍が日本の海軍力の脅威を予測していた矢先、1941年12月に太平洋で戦争が勃発、完全な不意打ちを受けました。

日本軍は、仏領インドシナの基地から襲撃をかけることができ、現地を2ヶ月に渡って占領しました。英軍隊がヨーロッパで戦争を繰りひろげていた影響で上空援護が不足したことが打撃となったのです。

日本軍は、マレー人をイギリス帝国主義から開放された植民地人とみなしていたので、マレー国家主義を限定的に促進しました。またこれによって日本軍は、マレー行政と知識人からある程度の協力を得ることができました。

しかし、日本軍は中国人を敵国人とみなし、マラヤ、シンガポールにいた40,000人に上る中国人を殺害しました。マヤラ共産党(MCP)に導かれた中国人は英軍と同盟を結び、占領下のアジア諸国の中で最も大きな力を持った抵抗勢力となりました。

当然のことながら、マヤラ共産党 (MCP)に導かれた中国人は、マラヤ抗日人民軍 (MPAJA)の中心となり、英国援助のもと占領下のアジア諸国の中で最も有効な抵抗勢力となりました。

1945年第二次世界大戦の終わりに日本軍が降伏し、統治権が英国軍に返還されたのです。


戦後時代
英国の新しい政府は、戦争による破産や日本軍占領下時代の中国人とマレー人の派閥争いなどの問題が山積していた為、できるだけ早く東から勢力を撤退することを望んでいました。

1946年、英軍は、目先数年のうちに独立することを視野に入れ、連邦制または連邦制でないマレーシアの州とペナン、マラッカ(シンガポールは含まない)を、統一した州にするマラヤユニオン計画を発表しました。

人種に関係ない共通のマレー市民権があったのでしょう。マレー人は中国人、インド人達が、永続的にマレーシアの一部になることを恐れ、その計画に反対の意を示しました。初めにこの計画を支持していたスルタンは後退し、マレー人自身を住民のトップに置きました。

1946年マレー国家主義者は、統一マレーシア国民組織 (UMNO)を設立しましたが、マレー人による統治を掲げるマラヤの独立を支持しました。 中国人政治家 (MCP) は、UMNOの方針に反し、すべての人種が完全に平等に扱われる早急な独立を求めていました。

1947年7月、一連の武力衝突の後、植民地政府は非常事態を宣言して、MCPの立ち入りを禁止、何百人もの過激派を逮捕しました。 このマラヤの非常事態により、中国人とマレー人の間の衝突を繰り返しながら、マラヤ半島全土で6年間の激戦が続きました。

1949年マレーシア華人協会の設立で和解案に達します。 彼らは同等市民権政策とともに、マラヤ独立を勝ち得るためUMNOと協力しますが、マレー人種との十分な譲歩を保ち、国家主義者恐怖を和らげることに努めました。

マラヤの国家主席は、異なる州のマレー君主のなかから選ばれ、マレー語を公式言語とし、マレーシア教育、経済開発が推進、支援しました。事実上、彼らは、行政事務、軍隊、警察を独占し続けていたので、とりわけマラヤ政府はマレー人が実権を握っていたことを意味しますが、中国人とインド人は、内閣や議会で相応の代表権を得て、同民族が多数民族となっている州を統治し、経済的保護を受けました。

独立
1957年8月31日、マラヤの独立後、タンクー・アブダル・ラーマン氏が最初の首相に就任しました。英国植民地であったマラヤ、サバ州、サラワク州、シンガポールを統一し、マレーシアを建国しました。

建国については、懸案となっている州から様々な意見があがりました。シンガポール人の大部分は、合併という案を支持していました。サラワク州のほとんどの政党は合併に反対、そして政党のないサバ州でも地域の代表者団体は反対の意を示していました。ブルネイの政党は合併に強く反対の意を示し、武装反乱を起こして、合併からの脱却を図っていました。マレーシアの建国は、は新植民地主義への恐れとともにフィリピン、インドネシア等の近隣諸国から反対されました。

1963年9月16日マラヤ、サバ州、サラワク州、シンガポールで構成されるマレーシアが正式に誕生しました。

日本による占領後、マラヤへの中国人移民率は著しく下がり、人口統計が安定し、マラヤは自国において少数民族になるという不安を解消しました。 1957年の独立当時、マレー人は人口の55%、中国人は35%、インド人は10%でした。

この統一には、シンガポールが含まれ、中国人人口が、40%近くに増えるということによって動揺を招きました。UMNO とMCAはいずれも、リー氏が率いる人民行動党 (急進社会党としてみなされていた)がマレーシアの有権者にはたらきかけることを懸念し、シンガポールでのリー氏の地位に挑むためにシンガポールで党を組織しようとしました。1964年の連邦選挙で、リー氏は、マラヤのPAP候補者を支持するよう脅迫しないという先だっての合意にもかかわらず (PAP-UMNO関係を参照)、実際には脅迫するという態度に出ました。これによりタンクー・アブダル・ラーマン氏は、マレーシアからシンガポールを離脱させることを主張し、1965年8月にシンガポールの離脱が現実となりました。

地理

場所
マレーシアは、赤道の北緯20度と北緯70度 の間にあり、南シナ海を挟んでマレーシアの西側と東側は、ほぼ同じ地形になっています。

マレーシア連合はマレーシア半島、サバ州、ボルネオ島のサラから構成されています。

マレーシア半島北部はタイに、南部はシンガポールに隣接しています。サバ州とサラクはボルネオのインドネシア北部に、サラワク州もまたブルネイと国境を分かつ位置にあります。

陸地
マレーシアは13の連邦州と3つの連邦主義領土から構成され、大陸面積は329,758平方キロメーターです。

連邦主義政府の中核をトゥラジャヤとし、首都はクアラルンプールです。

気候
年間を通して熱帯気候です。気温は低地でセ氏21℃ (70ºF) から32℃(90ºF)、高地は涼しく気温は15℃(59°F) から25℃ (77°F)となっています。 年間雨量は2,000 mm から2,500 mmです。

国民
マレーシアは、多宗教国家ですが、イスラムが国家宗教となっています。マレー人が人口の多くを占め、2番目に大きい民族グループは中国人です。

19世紀のマレーシアへの中国人移民達は、ビジネスに対して勤勉であることで知られていました。

彼らは、3つのグループに分かれており、それぞれ違う方言の中国語を話します。ホッケンを話す人々の殆どはペナンの北部に住んでいます。

広東語を話す中国人の殆どは首都クアラルンプールに、北京語を話す人々はジョホール南部を居住区としています。

3番目に大きな民族グループはインド人です。英軍による植民地支配の際にマレーシアへ来た南インド人移民の子孫の殆どがタミル語を話します。

マレーシア半島において、オランアスリは、一般用語として広く使われています。サバ州、サラワク州においては、イバン族、ビダユ族、オランウル族、カダザン族ドゥスン族、バジャウ族とムルット族等の無数の先住民族があり、独特の文化、遺産が残っています。 。

人口

マレーシアの人口は約2700万人。マレーシア最大の民族グループのマラヤは人口の57%、次いでマレーシア系中国人が25%、マレーシア系インド人が10%を占めています。

宗教
国家宗教はイスラム教で、人口の約60.4 %がイスラム教を信仰し、仏教は19.2 %、キリスト教9.1 %、ヒンドゥー教は6.3 %の割合です。

言語
マレー語は公用語ですが、英語もすべての民族の間、特に首都や大都市で広く使われます。またマレー語、北京語、英語を話せる民族のように、様々な言語、方言を使用します。

政府
マレーシアは、二院制の立法制度に基づく会議制民主主義で統治されています。国家元首(国王)はヤン・ディ・ペルトゥア・アゴンと呼ばれ、任期を5年として別の州から選出されます。この国はバリサンナショナルとして知られる多党連立によって統治され、政府首班は首相です。

国家元首: Sultan MIZAN Zainal Abidin最高指導者(2006年12月13日から)
政府首班: Mohd Najib bin Tun Haji Abdul Razak首相 (2009年4月3日から)

情報源
Malaysia Tourism, Ministry of tourism Malaysia & Visit Malaysia 2007
CIA – The World Fact book

マレーシア:基礎的経済指標

最終更新日: 2010年11月08日
項目 2009年
実質GDP成長率 -1.7%
名目GDP総額ー現地通貨 6,744億3,400万リンギ
名目GDP総額ードル 1,913億5,594万ドル
一人あたりのGDP(名目)ードル 6,897ドル
消費者物価上昇率 n.a.
失業率 3.7%
製造業生産指数伸び率(前年比) -10.0%
経常収支(国際収支ベース)ー現地通貨 1,127億300万リンギ
経常収支(国際収支ベース)ードル 319億7,702万ドル
貿易収支(国際収支ベース)ー現地通貨 1,415億1,200万リンギ
貿易収支(国際収支ベース)ードル 401億5,094万ドル
外貨準備高 954億3,170万ドル
対外債務残高ー現地通貨 663億6,913万ドル
対外債務残高ードル 708億127万ドル
(備考) 総額
為替レート(期中平均値、対ドルレート) 3.5245リンギ
為替レート(期末値、対ドルレート) 3.4245リンギ
輸出額ー現地通貨 5,532億9,500万リンギ
輸出額ードル 1,569億8,539万ドル
対日輸出額ー現地通貨 544億2,400万リンギ
対日輸出額ードル 154億4,162万ドル
輸入額ー現地通貨 4,349億4,000万リンギ
輸入額ードル 1,234億474万ドル
対日輸入額ー現地通貨 542億8,800万リンギ
対日輸入額ードル 154億304万ドル
直接投資受入額ー現地通貨 221億4,470万リンギ
直接投資受入額ードル 62億8,308万ドル
(備考) 認可ベース

10年分長期統計及び国内総支出内訳、GDP産業別構成

[出所]
実質GDP成長率、名目GDP総額、消費者物価上昇率、製造業生産指
対外債務残高、輸出入額、対日輸出入額、GDP産業別構成、国内総
:マレーシア中央銀行(Bank Negara Malaysia) "Monthly Statistical
一人あたりのGDP:IMF "World Economic Outlook Database"
失業率:マレーシア統計局(Department of Statistics)
外貨準備高、為替レート:IFS CD-ROM
通貨供給量伸び率:IMF "International Financial Statistics Yearbook"
直接投資受入額:マレーシア工業開発庁(MIDA)

[注]
製造業生産指数伸び率のうち、2008年は2005年価格
GDP産業別構成の実質GDPは、2000年価格で掲載
国内総支出内訳の実質GDPは、1998年〜2002年:1987年価格、2003年

出典:http://www.jetro.go.jp/indexj.html

マレーシア、クアラルンプールへのアクセス

飛行機でお越しの場合
主要玄関口はセランゴール(州)スパンのクアラルンプール国際空港 (KLIA)で、クアラルンプールの首都からおよそ50kmの場所にあります。その他には、サバ州、サラワク州、東マレーシアのラブアン島の連邦領土を含み、14 の国内空港と小空港と連携しています。

国家航空であり、6ヶ国、36ヶ所以上の拠点と連絡するマレーシア航空は、世界的なネットワークを誇り、さらに45以上の国際航空を設けています。エアアジア、マレーシアの 航空会社も特定の国内、地方路線を周航しています。

電車でお越しの場合
KLIAからは、高速鉄道サービスでクアラルンプールまで28分のKLIAエクスプレスがご利用可能です。

アロースター北部のケダ州から北方48Kmに位置するブキット・カヤ・ヒタムは、タイから来る観光客がマレーシアへ入国する主なポイントです。主要鉄道路線に含まれ、バンコクから毎日列車が運行されるパダンプサールは、マレーシアの最北端のペルリス州にあり、もう一つの入国ポイントになっています。

マレーシア鉄道公社
(KTM)またはマレー鉄道は、バターワースからタイのハジャイへ向かう国際エクスプレスとパダンプサールからクアラルンプール経由でシンガポールへ向かう通常サービスを提供しています 。

東部・オリエンタル専用エクスプレスもまた、クアラルンプールを経由してバンコクとシンガポールを結びます。全長2,000 km以上の半島をカバーする2日間の旅では、眺めのよい場所で頻繁に停車します。

シンガポールからのビジターには、ジョホールバルーが主要な入国ポイントです。列車・道路のコーズウェーはジョホールバルーとシンガポールをつなぎます。関税移民検問所はコーズウェイへの入り口にあります。ジョホールバルーから南西30キロメートルに位置するタンジョン・カパンに続く二番目の橋はシンガポールのチュアスへ続きます。

車/長距離バス
お車でお越しの場合、ELITEハイウェイまたは南北ハイウェイを経由することが可能です。南北高速道路もまたマレーシア半島の西海岸にある主要な街へとつながっています。半島はレンタカー、公共バス、専用バス、タクシー、リムジン、鉄道でも簡単にアクセスできます。

南北高速道路はブキット・カヤ・ヒタムと490km離れたクアラルンプールをつなぎます。マレーシアの移民関税の近くにはレストラン、ショップ、駐車場、免税店が立ち並びます。シンガポールコーズウェイから、ジョホールバルーとクアラルンプールをつなぐ南北高速道路は、北へ220kmの位置にあります。


マレーシア半島と東マレーシアは海港からもアクセスが容易です。半島西海岸の首都クアラルンプールの外側に位置するクラン港は、マレーシアの最大の港です。すばらしい港湾を持つ主要な輸送貨物のターミナルでもあります。その他の主要な海港は、ペナン島と半島北部のランカウイにあり、南部はジョホール、東部にはクアンタンがあります。またボルネオ島のサバ州にはコタキナバルがあります。

為替/為替レート
マレーシアの通貨単位は、マレーシア・リンギット(RM)です。

1円 -約0.04 リンギット(2011年2月)
1USドル -約3.03 リンギット(2011年2月)

(為替レートは、変動する可能性があり、表示の数値は参考としてお使いください。)

電気
電流は通常220 - 240 ボルト、 AC 50サイクル/ 秒

標準3-ピン 四角プラグとソケット。

時差
GMT +8時間

国番号
60

ビザ
マレーシアへの観光客は、正規の滞在期間を過ぎても最低6ヶ月有効なパスポート/渡航書類を所持しなければなりません。ナショナルパスポートがマレーシア政府の承認を受けていない場合、パスポート所持者はパスポートの代わりに、最寄のマレーシア在外公館で取得できる証書を所持する必要があります。またナショナルパスポートは、市民権のある国への再入国を保証するものでなければなりません。

マレーシアへ入国する人はすべて入国カード(IMM. 26)に記入します。入国カードは到着の際に、ナショナルパスポートまたは国際的に認められたマレーシアへの入国を承認する渡航書類とともに入国管理官へ提出します。

関税と出入国 (www.imi.gov.myヘリンク)
パスポート/渡航書類はサバ州とサラワク州間の旅行にも必要です。マレーシア半島への入国用に発行されたビジターパスは、サラワク州への入国には使用できません。サラワク州への入国ポイント到着の際に新しい訪問許可証が必要となります。ただし、特定の条件によっては、サバ州とサラワク州の入国管理局で発行された訪問許可証がマレーシア全土で有効です。

ほとんどの国籍の方々は、社交・商用訪問のビザは不要です。

詳細については、お近くのマレーシア在外公館またはツーリズムマレーシア オフィスにご連絡下さい。